ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論』の「目覚め」について。今回は長いよ〜。
『パサージュ論』を原案にした漫画を描くにあたって、取り組まないといけない問いはたくさんあるけれども、その中でも描き始める前にどうしても(とりあえずであれ)自分なりの答えを出しておかないと進めない、と思っていたのが、この「目覚め」についてだ。ベンヤミン自身が述べているのに同意して([N4,3])、「目覚め」は『パサージュ論』の試み全体を特徴付けるものだと思っていたから。
「目覚め」について考える上で、ヒントになるものは私見によれば、三つある。(i) プルーストによる「目覚め」、(ii) アラゴン『パリの農夫 Le paysan de Paris 』、(iii) プルーストの方法(想起)。三つといいながら、ほとんどプルーストだね。(以下、『パサージュ論』からの引用は、岩波現代文庫版より。[...] はぼくによる略)
「プルーストがその生涯を目覚めのシーンから始めたのと同様に、あらゆる歴史記述は目覚めによって始められなければならない。[...]こうしてこのパサージュ論は十九世紀からの目覚めを扱うのである」(N4,3)
プルーストが個人的な生に対して行ったことを、ベンヤミンは十九世紀のパリに対して行おうとしていた、ということがうかがわれるテキストだけど、さらに進んで、ベンヤミンが「目覚め」について、プルーストから学んだことについて見てみる。それによれば「目覚め」とは、「夢の意識というテーゼと目覚めているという意識というアンチテーゼの統合」([N3a,3])であり、「目覚めの瞬間」こそが「認識の可能となる今の時」([N18,4])だとベンヤミンは書いている。いいかえれば、「目覚め」とは、夢の中に完全に浸っている状態と、夢から完全に切り離された状態の境界であって、そここそが夢と距離を取りつつ夢を認識することが可能な場だ、ということだろう。
『パサージュ論』を構想するに当たって、ベンヤミンがインスピレーションを得た一つがプルーストだとすれば、もう一つがアラゴンの『パリの農夫』だ。この著作の中でアラゴンは、見慣れたパリをもう一度、新鮮な目で捉えた上で、シュールレアリスティックな幻想と混ぜ合わせて一個のヴィジョンに仕立てていく。最もありふれたものの中から、最も驚きに満ちたイメージを取り出すという『パリの農夫』の特徴は、そのまま『パサージュ論』の特徴ともいえそうだけど、ベンヤミン自身は次のような区別をつけている。
「[...]アラゴンが夢の領域に留まろうとするのに対して、私の仕事では覚醒がいかなる状態であるのかが見出されなければならない。アラゴンの場合には、印象主義的な要素――それは「神話」と言われる――が残されている。彼の著作には、明確な形姿を持たない哲学的思考要素がさまざまあるが、それはこの印象主義によるものである。これに対して私の仕事では、「神話」を歴史空間の中へと解体しきることが問題なのである。それは、過去についての未だ意識化されていない知を呼び覚ますことによってのみ可能である」([N1,9])
というわけで、先にプルーストのところで書いてしまったけれども、ベンヤミンによれば、アラゴンの著作は夢を見ている段階にあるのに対して、『パサージュ論』は「目覚め」から夢を扱う、そこが違う、ということになるだろう。
では、肝心の「目覚め」から夢を扱う、とはいかなる方法によって可能になるのか。ベンヤミンはその方法について「歴史認識」という言葉で度々言及している(例えば「過去の一片がアクチュアリティに撃たれるためには、両者のあいだに連続性があってはならない」([N7,7])。その「歴史認識」についての最大の成果物がいわゆる『歴史哲学テーゼ』だけど、あのテキストを含めた『パサージュ論』全体の歴史認識の方法を、理解・解釈するに当たって、プルーストにもう一度立ち戻ることは非常に有益だとぼくは思う。
「[...]プルーストが個人として追悼的想起という現象に即して体験したことを、われわれは[...](十九世紀までさかのぼって)、「潮流」とか「モード」とか「動向」として経験せざるをえないのである」(K2a,3)
これらの引用を読むことによって、ベンヤミンは『パサージュ論』という試みの中で、プルーストから「目覚め」だけでなく「想起」という二つを受け取っているがわかる。いってみれば、「目覚め」が認識の場であるとすれば、「想起」とはその認識の方法なのだ。
「[...]体験された出来事は有限であり、少なくとも体験というひとつの領域に包み込まれているのに対し、追想される出来事は、その前後に起こった一切の事柄に対する鍵にほかならないがゆえに、限界をもたないのだ」(「プルーストのイメージについて」『ベンヤミン・コレクション2』筑摩学芸文庫)
ぼくが理解していることによれば、これこそがベンヤミンがプルーストから学んだ「想起」の方法の根本原理だ。あるいは、こういうこともできるだろう。すなわち、過去は時間的には有限であるが、想起においては無限である。これがベンヤミンが歴史的事象の「モナド的構造」と呼ぶものの正体であり、「歴史的事象はみずからの内部に自分固有の前史と後史が写し出されているのを見出す」([N10,3])理由でもある。
マルセルがジルベルトに対して抱いた最初の嫉妬を想起するとき、その嫉妬という出来事は、想起しているマルセルが今ここにおいて、このマルセルであることを示す鍵であると同時に、その嫉妬以前のマルセルが収斂していく点でもある。同様に、パサージュという具体的な事象は、パサージュを知らなかった世界が向かっていく終着点であると同時に、それを認識しようとする「今ここ」における私の根源であるのだ。それは、パサージュという具体的な(ということは有限な)形態が非完結的に指し示していた「意味」の探求に他ならない。
さて、以上のことをまとめながら、自分の言葉で再構成していこう。「目覚め」を核にして見えてくるベンヤミンの企てた『パサージュ論』の目指すものとは、パサージュという具体的な形態の中に表現されていた「意味」の展開だ。この「意味」を意識的に開示しようとはせずに、形態の持つ不思議さ、面白さに魅了されること、これがアラゴンの著作に見られる「夢見る」段階であり、ベンヤミンの企てとの違いである。
具体的な形態の持つ「意味」の探求。これを具体的な形態を抜きにして展開しようとするのが、直接的に神学的な方法であろうけれども、それは形態の持つ具体性と一回的な意味深さを見落としてしまうだろう。直接に神学を展開することを回避した上での、「意味」の探求。それは表面的には神学ではないが、「意味」の探求である以上、つまり、具体的な形態の持っている意味の「意味」の探求である以上、「私たちは、歴史を原則的に非神学的に捉えることが禁じられるような経験をするのだ」([N8,1])。
ちょっとした余談だけど、このことからなぜ『パサージュ論』およびベンヤミンの諸著作の中には、肝心の神学の具体的な内容が書いていないのか、ということが明らかになる。『パサージュ論』が歴史的事象の具体的な形態の持つ意味の「(根源的)意味」の展開を目指していたとすれば、神学がその答えになるわけだけど、神学を神学として展開したとすれば、それはまた別の「意味」としてのみ展開可能であって、「意味の意味の意味の[...]探求」という形の不毛な試みとなるか、あるいは抽象的な体系の構築となるか、のどちらかしかない。
そうした不毛な探求ではなく、かつ具体的であることを求めるのであれば、意味の「意味」の探求は、具体的な事象の中で「意味」が無意味に打ち勝つプロセス、およびその構造の記述によってのみ可能だと思う。パサージュの発展と荒廃。その具体的なプロセスの記述こそがベンヤミンの神学の場だったのだろう。
2012/5/2